Jin's Report 2010

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なごり雪

第1戦 6月13日

【移動距離131マイル/約209.6km】
“63rd Annual Glennville Round-Up” Glennville, CA. (PRCA)
“第63回記念 グレンヴィル・ラウンド・アップ”
カリフォルニア州、グレンヴィル

昨年11月のカリフォルニア州ブロウリィでの試合から半年以上。2010年をようやくスタートすることが出来た。背骨を形成する脊柱の突起が4箇所折れていたというのはハッキリ言ってショックだったが、ケガをしてしまった以上じたばたしても仕方がないので、リハビリとトレーニングに専念した6ヶ月だった。
アメリカに戻ったのが5月下旬。カリフォルニア州ニポモに住むゲイリー・レフューの元で練習させてもらおうと思っていたが、彼と私の日程がなかなかかみ合わない。それでもこの試合に間に合うようには練習をした。

ロデオ開始は午後1時半。滞在先のアタスカデロから会場まで約3時間。それでも朝8時過ぎに日本人の友人二人と共に出た。しかも私のプレリュードではなく、彼のピックアップ・トラックで。
早く出たのにも理由があった。この日いちにちのロデオに出るブルライダーは20人。one day rodeoにしては多い。ゆえに、二つのセクションに分けられ、最初の種目にブルライディングが組み込まれた。私は、オープニング・セレモニー直後に始まる、その最初のセクションに入っていた。ブルライディングだけの試合と変わらない状況なので、ストレッチや準備の時間も考えると、それだけ早く出る必要があった。しかもグレンヴィルは初めてだ、私も、私の友人も。
すでにアメリカ国籍となった私の友人が集めた邦楽のCDをかけながら、ハイウェイ101号線を北へ、パソ・ロブレスから46号線に乗りひたすら東へ走る。このパソ・ロブレスは、カリフォルニアでもワイン醸造が盛んな地域だ。見渡す限り、ヴィンヤード(ぶどう園兼醸造所)がつづく。ここから『ワイン・スペクテイター』誌でも90点以上の高得点を出しているワインが何種も産まれている。
南北を貫くI-5(インターステイト5号線)とハイウェイ99号線を超えてさらに東へ。ここからは丘陵地帯で、カリフォルニアのいわゆる内陸と呼ばれる地域だ。なだらかだが、標高は2000フィート、3000フィートと次第に上がり、グレンヴィルは4000フィート(1220メートル)を超える所にある。周囲は牧草地帯で、フェンスによってどこも囲まれている。牛たちがのんびりと過ごしている。カウボーイたちの住む場所だ。曲がりくねった細い道を縫うように進み、155号線に出る。数マイルも進めば、そこがグレンヴィルだった。
『町』といっても決して大きくはない。でもこの日は別で、町に唯一ある(と思われる)マーケットの前はバイクや車でごった返している。いかにも田舎の気さくなおばさんと思しきお店の方にロデオ・グランドのことを尋ねると、400メートルも行かないうちに看板が見えるから、それを右ね、と親切に教えてくれた。会場に着いてみると、すでに駐車場は埋まっている。どこに車を止めるか探すのが大変だ。普段なら、出場選手用の駐車場があるはずだが、それもない。せめてバッキング・シュートの近くまで、とその方向に進むが、中へ行くほどに車は埋まっているし、なによりトレーラーを積んだトラックや、キャンピングカーが多く、場所を占領している。それでも、なんとか観客の車とトラックの隙間に入れた。ロデオ会場に足を踏み入れたことすらない友人二人は、周りを見渡し、彼らがいつも生活している空間と違うことに、すでに気づいている。

出番を待つローパーたち
出番を待つローパーたち

今日のストック・コントラクターは、あのフライング・U・ロデオだ。昨年のブロウリィもそうだった。私ともっとも馴染みのあるストック・コントラクターで、スタッフも顔見知りだ。半年振りの再会の挨拶を交わす。リノ、トミー、シンディ、ひげを蓄えたポール以外、みな変わらない。私のブルは#129/6 Chili Pepper チリ・ペッパー。赤茶色のブルで、それほど大きくはない。トミーによると、気性は荒く、落ちたときは向かってくるから早く逃げろ、とのことだった。先週末のサンタ・マリアでのロデオで、現在世界ランク26位のクレイトン・フォルティンが79点を出している。
エントリー・フィーは81ドル。一日だけのロデオ、デイ・マネーも出ない、賞金額もそれほど高くはない、ゆえにエントリー・フィーも安いが、20人もブルライダーが出るとなれば、それだけ賞金額は上がる。リストには、カリフォルニアでも知名度のある選手がいる。ザック・オークス、テッド・バート、シェイン・ゴードン、そしてあのマイロン・デュアーテ。会場の写真を撮ってから準備を始める。友人二人はロデオの雰囲気を楽しみつつ、カウガールの写真を撮り続けていた。
シュート裏に選手が集まってくる。32歳のシェイン・ゴードンと久々に顔を合わせる。2年前のサリィナスではアゴを骨折していたが、いまはそれも治っている。体調もよさそうだ。シェインも最初のセクションに入っているので、話しながら準備を続けた。
投資に関心があるようで、日本の経済状況と、ビジネスをしていく上でどのような対応をしたら良いのかを聞かれた。彼も、ブルライディングを永くは続けられないと考えている。「オレは39歳だけど、まだ続けるよ」と話すと、”You inspire me.”と一言。カリフォルニア・サーキット・ファイナルズの常連の彼に、そういわれるとは思なかった。

マトン・バスティンの子供たちとそれを見守る親たち
マトン・バスティンの子供たちとそれを見守る親たち

オープニング・セレモニー前にマトン・バスティンが始まった。子供たちが羊にまたがり、何秒しがみついていられるかを競う。男の子も女の子も関係ない。長くしがみついていられた子が優勝。これもロデオの種目のひとつだ。
そのあと、時間をかけたオープニング・セレモニーが行われ、そのあいだにブルがシュートに運ばれてくる。ライダーたちがそれぞれのブルにロープ巻いて、支度する。私もチャップスとヴェストをつけた。
トニーから私が3番目に出ることを告げられた。最初の選手が82点、2番目にでたシェインが73点で続いた。昨年11月以来の試合とはいえ、その緊張はなかった。シュートの中でむしろ私は落ち着いていた。ゲイリーからの教えを頭の中で繰り返し、まとまったところで出た。チリ・ペッパーが右に出る、その次の蹴り足が左にねじれる。着地と同時に今度は左へ回る。そのままスピードを上げて回る、回る、回る。一度バランスを崩しかけたが持ち直す。Into my handの型で、その回転についていく。ゲイリーとの練習で、繰り返し練習してきた型だ。が、次第にスピードに負けて、足が外れていく。肝心の左脚に体重がかけられていない。ロープを握る左手を支点に左肩を前方に突き出し、体重を前方と左脚にかけなければいけないのに、体重を乗せ切れていない。それを補おうと右腕を振り回しすぎた。身体は後ろに倒れ、外に向けられてかかる重力に負けて振り切られた…。時間にして4秒、もしくは5秒。
そのあとが余計だった。まだ回り続けていたチリ・ペッパーは私を見つけるやいなや飛んできた。ブルファイターの一人がすぐに割って入るが、ねらいを定めていたブルに対して、あまりにも人は無力だ。もう一人のブルファイターも注意をそらそうと動く。何度か転がされた私は、ようやく抜け出すことが出来た。二人のブルファイターのチーム・ワークに助けられた。動画には映っていないが、このあと私はゲートを叩きつけている。乗りこなしていた、途中までは。シュート・ボスを務めていたリノからも”You almost had him!”と声をかけられた。 余計に悔しさが増す。
なかば呆然として、シュート裏に戻る。シェインに声をかけ、二人並んで片付け始める。私は撮っていた動画を彼に見てもらった。やはり左肩の使い方と、体重移動のまずさを指摘された。ただ、その不安定な状態でバランスを保てていたことは、彼を驚かせたが。

後半のブルライディング。グランド・スタンドより
後半のブルライディング。グランド・スタンドより

すぐには友人二人に会おうとは思わなかった。ギアをトラックまで持って行き、選手のために用意された食事を取って、しばらく間を置いた。グランド・スタンドのほぼ中央に陣取っていた二人は、シュート裏からも良く見えていた。胃も満たされて気持ちも落ち着いてから、グランド・スタンドへと向かった。
彼らはロデオを満喫していた。観客席もほぼ満席だった。規模の小さいロデオほど、ロデオそのものの雰囲気と楽しさを味わえると私もしみじみ思うが、二人がまさにそれにハマっていた。それがせめてもの私の救いだった。
最後にもう一度、残りのブルライディングがあった。ザック・オークスとマイロン・デュアーテは欠場していた。残りの選手は誰一人、8秒乗り切ることはなかった。結果、賞金は最初の二人が分け合うことになる。これもまた、ブルライディングだ。


選手用に食事が用意されていたテントです。
選手用に食事が用意されていたテント

まだ5時だった。片道3時間の帰り道、友人が運転してくれるのがありがたかった。カリフォルニアの地平線が見えるところで、彼のCDからタイミングよく『なごり雪』が流れてきた。
…そんな気分だった。

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