Jin's Report 2012

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まさかの!?

第1戦 3月17日

【移動距離146マイル/約233.6km】
“Salina PRCA Rodeo”Salina, Utah.(PRCA)
“サライナ・PRCAロデオ”
ユタ州サライナ

1月半ばに渡米し、すぐに練習会に参加。2回目の練習会で、ブルに左脚のふくらはぎと背中を踏みつけられ、早々に休養となってしまった。そのあとの数週間をリハビリと、いわゆる「自己啓発本」を読むことに費やし、再び練習会に戻ってからは、昨年何度も痛い目に合っていた左回りのブルをも乗りこなし、一度も落ちることはなかった。
同じ週の15日から、いつも練習しているスパニッシュ・フォークのアリーナで、ゲイリー・レフューを講師に迎えたブルライディング・スクールが開催されていた。私も裏方として借り出され、スクールを手伝っていた。その傍ら、生徒らに混じってゲイリーの話を1年ぶりにじかに聴き、本当にいい形で、この初戦を迎えていた。

アリーナから町の方角を眺めたもの
アリーナから町の方角を眺めたもの。
林に隠れて町が見えません…

スパニッシュ・フォークからサライナまでは、約1時間半。途中道を間違えてしまったが、6時過ぎには会場に着いた。サライナは大きな町ではない。そんな町で今年初めて、プロ・ロデオを開催する。決してそのため、ではないのだろうが、町を望む丘の上に、立派なロデオ・アリーナがそびえていた。
まだまだ寒いこの時期のユタ。イン・ドアのアリーナで開催されるのは、ありがたい。選手と観客の入場する入り口が同じ、というのも町のロデオっぽくていい。いつも練習会で顔を合わせる何人かも、私とほぼ同じくしてチェック・インした。
私のブルは、スラッシュ・T・ロデオ社の#746。名前も無い、番号だけのまだ若いブル。エントリー・フィーは101ドル。賞金額が低いロデオだけに、エントリー・フィーも高くは無い。
さっそくアリーナの外にあるペンへ行き、ブルを探した。耳札に書かれている番号が、私のブルの目印だ。見つけるまでに、そう時間はかからなかった。黄色と白の中間のような色の体、白い顔、大きなブルに混じって、ひときわその小ささが目立つブルだ。この日連れてこられていたブルの中で一番小さい。思わず、ニンマリとしてしまった。
小さいブルに対して苦手意識のあった私は、この冬の最初の練習会から、重点的に小型のブルに乗っていた。最後の練習会でこそ大型のブルに乗ったが、むしろ小さくて動きの早いブルを選んでいた。初戦で、こういうブルに当たった運の良さを、素直に喜んだ。
ストック・コントラクターのパット・オマーリーにも声をかけた。1年以上、彼のブルには乗っていなかったが、彼は私のことを覚えてくれていた。
「一番背の高いブルライダーに、一番小さいブルが当たっちまったなぁ!」そう言って彼は微笑んだ。「オレに選ぶ権利はないからね、文句は言えないよ!」

狭いシュート裏の様子
狭いシュート裏の様子。
ここにいると、ロデオだって実感します。

この日のロデオには、残念ながらベアバック・ライダーが一人も参加していなかった。ベアバック・ライダーは、減少の傾向にある。毎年どこかのロデオで、こういう事態が起こっている。そのため、このロデオでもブルライディングとサドル・ブロンコ・ライディングを二つのセクションに分けていた。私の名前は第2セクションに入っていた。
シュート裏が狭いこともあって、ロープをフェンスに掛けただけで、準備は何もしなかった。第1セクションのブルライダーたちが、先に準備を進めている。彼らが、ベアバック・ライディングの代わりに、ロデオのオープニングを飾る。
海兵隊の儀仗隊によるオープニング・セレモニーのあと、さっそくブルライディングだ。久しぶりに顔を見たザック・エリオットが、69点を出した。私の見た目では、もっと点数を与えてもいいと思ったのだが、私はジャッジではない。でも、ザックはいいライドをした。このセクションで8秒乗り切ったのは、その彼だけだった。69点とはいえ、デイ・マネーは手にすることが出来る。
観終えてから、アリーナ横にある小さな馬場に行き、ストレッチを始めた。数時間前のスクールにいたときからストレッチもし、バレルにもまたがっていたので、いつでもいける状態ではあったが、少し時間をかけてストレッチをした。シュート裏に戻ってみると、これからサドル・ブロンコの第2セクションが始まるところだった。そのあと、チーム・ローピング、バレル・レーシングと続く。まだ、時間はある。
先のブルライダーたちが、片付けを終えていたので、私は準備を始めた。練習会と同じことを、ここでも繰り返す。というよりも、練習会でも、試合と同じことをする、といったほうが正しいかもしれない。ひとつひとつの順序が、集中を高める役割も果たしている。

#746
#746

バレル・レーシングが始まってすぐに、ブルたちが運ばれてきた。デリヴァリーに入った#746は落ち着きが無く、前にいるブルに乗りかかり、じっとしていることがない。おそらく、シュートの中に入ったあとも、協力的ではないことは、想像できた。
私は最後から2番目だった。パットからも「こいつは落ち着きがないから、直前まで準備をするのは待ったほうがいい」といわれていた。前の選手がブルから落ち、そのブルがアリーナを去るまで、私は待った。
シュートの中に入り、ロープを温める。やはり#746は落ち着きが無く、前後左右に体をゆする。その体が小さいために、シュートの中で、彼に動くスペースを与えている。私も右足はゲートにかけず、下まで下ろしていた。左足のつま先は、シュートにかけたままだった。その左足のスパーが、#746の体に食い込んでいた……。
左手でロープのハンドルを握ろうとする、その瞬間だった。彼が私のスパーを掴んだまま、いきなり前へ移動した。シュートのフェンスと彼の体に挟まれた、抜けないつま先を基点にして、つま先が180度後ろを向く。ありえない角度だ。急激な痛みが一気に突き抜ける。つま先が後ろへ向いていくのを見てしまった……。なんとかして左足を引っこ抜き、ブルから離れシュートの上にまたがる。叫びようの無い叫び、というのがあれば、正にそれだ。「折れた」ことはすぐに認識できた。歯を食いしばるしかない。ブーツの中で足首が膨らんでいく。すでに腫れてきている。「どうする?まだ乗るか?」
パットの一言で、私の中で何かがはじけた。
再びブルにまたがり、すばやくロープを温める。幸い、左脚には力が入る。足首から先は垂れているだけだった。「ロープを巻いたらすぐに出ろ!」パットからの指示も耳に届いた。出る直前の姿勢は、身体が覚えている。すぐに体勢を整えて、ゴー・サインを出した。
ゲートが開くやいなや、#746はシュートの中で、前のめりになるような形で2度跳ねた。姿勢を保ちながら次の動きに備える。彼としては、私をシュートかゲートにぶつけて振り落としたい気分だ。そのため、シュートの近くで暴れる。左へ出て、すぐに左のコーナー、そしてまた左へ。練習していた動きだ。あいかわらず、シュートに近いところで回っている。2回転目に入って、少し身体を前に持って行き過ぎた。戻しの右足が、遅れる。次の一振りで、振り切られる。四つん這いで逃げる私を尻目に、彼も遠ざかって行った。

最後の選手が83点という見事なライドを見せている裏で、救急隊員によって私の左足の診断が下された。「間違いなく骨折。すぐに病院へ行くこと」
足首の外側のくるぶしの上に、みかんくらいの大きさの、コブみたいなものが出来ていた。その腫れに押されてか、つま先は少し内側を向いていた。座って、救急隊員の話を聴いている間にも、みかんがすこしづつ大きくなっていった。
彼らは私を救急車に乗せて一番近い病院へと連れて行く、と申し出たが、私は断った。アメリカで救急車は無料ではない。とんでもない金額を支払わされる。ケガの功名ではないが、ロデオを通じて、アメリカの医療に関する事情は、多少学んだ。
しかし、私のプレリュードはオートマではない。クラッチがあるため、左足がないと運転できない。平行線を辿る私たちに助け舟を出してくれたのは、やはり仲間のブルライダーだった。「オレたちが病院へ連れて行ってやるよ」
昨年、ほとんどのロデオで顔を合わせ、練習会にもきているジャスティン・アンダーソンが、私のプレリュードを運転してくれることになった。他にコーディ・ロビンソンとウェイシー・ホームズも一緒に来てくれるという。

“サライナから一番近い病院”へと向かったが、あいにくここにはレントゲンの設備はあるが、手術が出来る設備はない、という。いづれにしても、レントゲン撮影後、どこかの病院へ行かざるを得ないという。たらい回しは、ごめんだ。早々にこの病院を出て、スパニッシュ・フォークの近くにある病院へ向かった。ジャスティンたちにとっては、彼らの住む町と同じ方角とはいえ、余計なドライブだ。が、彼らはそんなことは気にしていなかった。時速80マイル超(時速130キロ)でフリーウェイをぶっとばした。
深夜12時を回って、その病院のERへと入った。連れてきてくれたジャスティンに礼を言うと、「オレたちはいつでも助け合わなきゃな」そう言い残して、彼は帰っていった(数時間の睡眠のあと、彼は大学のあるテキサスへと向かったそうだ)。受け付けを済ませ、診察室でレントゲン撮影を待った。さまざまなことが頭をよぎる。シーズン初戦で、まさかの骨折。でも、起こってしまった事は変えられない。受け入れて、治すことに集中するしかない。そう自分に言い聞かせていた。
撮影後、ERの医師の説明によれば、左脚ヒ骨末梢部分の骨折。末梢部分なだけに、足首が腫れている、とのことだった。そのほかの骨に異常は見られなかった。そして膝からつま先までギプスをはめられ、これから48時間は要安静、と言われた。この足では、どこにもいけそうに無い。月曜日にスポーツ整形外科医と面会することが決まった。手術するか否かは、その時点で決まるらしい。
診察を終えたのは午前1時過ぎ。この町に住む仲間のブルライダーが迎えにきてくれて、その日は彼の家に泊まった。
寝かせつけられたベッドの上で、これからのシーズンのことを思った。
部屋は闇の中だったが、私の頭の中も闇だった。
これも試練なのであれば、乗り越えるのみ。


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