Jin's Report 2017

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やっぱりロデオは最高だ

第1戦 7月8日 コロラド州 スティームボート・スプリングス (PRCA)

第2戦 7月13日 ワイオミング州 ララミー Xtreme Bulls Division 2 (PRCA)

第3戦 7月15日 ユタ州 ニーファイ (PRCA)


ケガをしたのは2016年の7月4日、ユタ州ウェスト・ジョーダンでのロデオだった。ブルに左脚を踏まれて腓骨を骨折。そのあとの2試合を棄権した。
そして2017年の7月4日、ぼくはユタ州にまた戻ってきた。理由はただ一つ、ブルライディング以外にない。昨年と違うのは、またケガをされたら心配だからと、かみさんも一緒に来てくれたことだ。
PRCAのメンバーシップを再度取得したのは、年明けてすぐ。つまり、もう帰ってくる気満々だったワケだ。しかも昨年、松葉づえをつきながら帰国した時点で、今年もブルライディングを続けることを決めていた。
なぜか?

ケガをしたがために棄権した2つのロデオに、今年出場したかったこと。
長年ここユタ州でお世話になっているブルファイターのルイ・ジョーンズが引退を決意しているので、もう一度彼と共に、彼の最後のロデオに出場したかったこと。
そしてやっぱり、もう一度8秒乗りたいから。

滞在期間は2週間と昨年よりも短い。出場できる可能性のあるロデオは限られてくる。渡米前にエントリーをかけたロデオはこの5つ。
7月7日 ユタ州ヴァーナル (昨年棄権したロデオ①)
7月8日 コロラド州スティームボート・スプリングス
7月13日 ワイオミング州ララミー
7月14日 ネヴァダ州エルコ (昨年棄権したロデオ②)
7月15日 ユタ州ニーファイ
ルイの最後のロデオはニーファイだ。
7月4日の時点で出場が決まっていたロデオはスティームボート・スプリングスだけだった。他の4つはすべて、エントリーから外れていた。ただ、それでも悲観していなかった。昨年のぼくのように、この時期はケガをする選手が出てくるので、エントリーしていても棄権する選手や自ら欠場する選手も出てくる。そうなれば、ぼくにも出番は回ってくると信じていた。


スティームボート・スプリングスで騎乗したブル #291 Kick Back

 

前日になってもPRCAから連絡が来なかったので、残念ながらヴァーナルへの出場は果たせなかった。今年の初戦は、7月8日のスティームボート・スプリングスとなった。
この1年間、この日のためにトレーニングを続けてきて、待ちわびてきたロデオ。ブルに乗ることすら1年ぶりだったけれど、それほど恐怖は感じていなかった。ただ、やはり緊張はしていたかもしれない。
バッキング・シュート裏でギア・バッグを開けブル・ロープを出し、準備を始めると、一人の選手に声をかけられ、名前を聞かれた。「ジーン・シバハラだよ」と答えると「ショーン・スティーブンスを知ってるかい?」と返ってきた。
知っているどころではない。ショーンは、ユタ州に住むぼくのブルライディングのコーチであり友人でもある。こちらに戻って来た時はロデオの前に必ず指導を頼む、90年代の名選手だった人だ。このロデオの前日にも会ってきたばかりだった。
「もちろん知ってるよ」と答えると、その選手は「やっぱり。何年か前にあなたとショーンのブルライディング・スクールで会ったことがある」
そうは言われても、ぼくは彼の名前も顔もまったく覚えていない。しかも彼はベアバック・ライディングの選手のようだ。どうやら、彼は数年前にブルライディングからベアバック・ライディングに転向したらしい。スクールの時の思い出話や、ショーンのことなど一通り話を済ませてから、握手を交わし、お互いの準備を進めた。
ユタ州ではなく、まさかコロラド州で、ぼくを知っている選手と出会うとは思いもしなかった。

ロデオが進み、ブルライディングが近づいてくる。ブルにロープを巻いて、チャプスをつけヴェストを着用し、マウスピースを口に入れ、ヘルメットをかぶり、グローブを左手にはめた。深呼吸。
ブルにまたがってロープを温める。握る部分に左手を入れて、ロープを引っぱってもらい、自分で巻きつける。脚の位置、右手の位置、確認してゴー・サインを出した。
勢いよく飛び出したブルがすぐに右に回って、そのままの勢いでさらに回転を続ける。右回りの場合、左手で乗るぼくにとって重力はその左肩の外にかかる。右脚でしっかりとブルを抑えて、その重力に抗い、重心を中央へと残しておきたいのだが、あっさりと右脚が外れ、そのまま振り回され、落ちた。なすすべなく、だ。
ロープを拾い上げ、シュート裏へおずおずと引き下がった。
そうじゃなくて、こうしてこうしてこうだろう!頭の中で思い描いていたライドとはかけ離れたライドにイラつく。それでも、この結果がこの日のすべてだ。
片づけて、かみさんの待つ車へ戻る。闇が濃い。モーテルに泊まろうと車を出したが、リゾート地のこの町で、この時期に予約もなしにモーテルに泊まれる可能性は、ゼロだった。そのままロデオ会場へ戻り、車のシートを倒して、持ってきていた寝袋を出し、寝た。


スティームボート・スプリングスからの帰り道、立ち寄ったカフェで朝食


もしかしたら、この夏はこれで終わってしまうかもしれない。そう思いかけてた7月11日、PRCAから電話がかかってきた。「13日のララミーで空いた枠があるけれど、出場する意思はある?」思いがけない連絡だった。てっきり、エルコかニーファイの連絡だと思ったからだ。
というのも、13日のララミーは、普通のロデオではなくブルライディングだけの『Xtreme Bulls』という大会で、通常ならば世界ランキング上位の選手や、コロラド州やワイオミング州の地元の選手たちが優先される大会だ。それだけに、ぼくのような実績のない選手が出るのは難しいと思っていた。それでもエントリーをかけたのは、短期間の滞在で行ける所なら、どこでも行こうと考えていたのと、もしかしたら、という思いがあったからだ。そして、本当にチャンスが回ってきた!
そのチャンスを逃す理由は何もない。即答で「出ます」と答えた。
ララミーまでは車で10時間あまり。ソルトレイクからフリーウェイをひたすら東へ向かい、ワイオミング州も横断する。かつてこの大地をカウボーイたちが牛を移動させ、西を目指していたはずだ。起伏が激しく、風も強く、車で走るからいいものの、これを馬に乗って牛の大群を引き連れながら幾日もかけての移動となると……、想像するだけで身震いする。
少し早めにララミーに辿り着いたので、先に予約しておいたモーテルでチェックインを済ませてから、ロデオ・グラウンドに向かった。
初めてのロデオ・グラウンドなので、勝手がわからない。車をロデオ・オフィスのすぐ近くに止めてチェックインを済ませると、ブルファイターのマーク・ギルが息子を連れてこちらに向かってきた。ここワイオミング州出身で、あちこちのロデオで何度も顔を合わせたことのあるブルファイターの一人だ。昨年で引退したが、それでもロデオとのかかわりは消えていない。



フリーウェイ ひたすらまっすぐ


シュート裏に回り準備を始め、すでに来ていたダスティン・ボウエンとも再会の握手を交わした。ロデオが盛んでないペンシルヴェニア州出身にもかかわらず、すでにWrangler National Finals Rodeoに出場経験がある。
そして2002年にPBRを制したブラジル出身のエドネイ・カミンハス。今年41歳。PRCAでブルライディングを続けている数少ない40代の一人だ。
ララミーにはそうそうたる顔ぶれが揃っていた。その時点でランキング1位だったギャレット・スミス、ジョーダン・スピアーズ、ダニエル・ハンセン、ガスリィ・マーレイ、ティムとタイラーのビンガム兄弟、タイ・ウォーレスらランキング50位以内の選手が多かった。
オープニング・セレモニーでは全選手がアリーナに並び、観客からの喝さいを浴びた。そのまま国歌斉唱が続き、すぐにブルライディングが始まった。
ぼくの出番は4つのセクションのうち2つ目。1つのセクションが10人ずつ。進行が早く、ウォーム・アップの時間があまり取れなかった。あっという間に出番が回ってきて、あわただしくも準備を整え、ブルにまたがる。
自分のタイミングよりも少し早くゲートが開いてしまい、すぐにロープを握る左手が伸びてしまった。ロープとケツが20センチも離れてしまい、「えっ!」と思う間に、そのまま放り出された。
何も、していない……。自分から落ちてしまったようなものだ。
ロープを拾い上げ、何が起こったのか頭の中を整理しつつシュート裏に戻り、そこで茫然としてしまった。
遠くで、心配したかみさんがぼくの名前を呼んでくれていたのだが、まったく耳に届いていなかった。何も聞こえてこなかった。エドネイが「おい、奥さんが呼んでるぞ」と指をさして教えてくれるまで、かみさんが見えてなかった。気が付きもしなかった。
とりあえず、かみさんのもとへ行き言葉を交わし、車で待ってもらうことにした。競技を見届けようと思ったが、片づけをしていたフェンスのそばから離れることができず、結局その後の誰のライドも見ることなく終わってしまった。
どうやら、あまり名前の聞いたことのない新鋭が強豪を抑えて優勝したようだ。
ギアバッグを担いで車に向かう途中、エドネイがふらりとやってきた。「うちの家内が、お前の奥さんと日本語で話してみたいって言うんだけど、つきあってもらえるかい?」
彼の奥さんもブラジル人だが、どうやらブラジルで日系の人たちと交流があったらしい。車に戻って、事情を説明してかみさんに出てきてもらった。挨拶をして少し会話が弾むと、エドネイの奥さんは、宇多田ヒカルの歌のフレーズを口ずさんでくれた。


エドネイ・カミンハスの家族と


エドネイには赤ちゃんがいて、さらに奥さんは2人目を授かっていた。せっかくだから一緒に泊まろうと申し出た。部屋に大きなベッドが2つあるのは知っていたし、彼も彼女もシャワーくらいは浴びれる。少しでも休める。
夏の間はロデオが続く。こうしてお互い知り合えた機会だったし、ぼくも、いろんなロデオ・カウボーイたちに助けられてきたし、同じ部屋に泊まらせてもらったことも何度もあった。この先の、ロデオの旅のことを考えると旅先でベッドで眠れるありがたさはよくわかっているので、彼らを同じ部屋に泊めることに、なんのためらいもなかった。
かみさんと二人で選手向けの食事が用意されている場所で遅めの夕食を取ってから、エドネイの家族とともにモーテルへ向かった。
彼らはテキサス州にある家を離れてロデオの旅を続けている。翌14日はワイオミング州のシェリダン、15日はユタ州のニーファイ、そして16日日曜日はまたここララミーでのロデオに出場するらしい。経費を節約するため、毎日モーテルに泊まるわけにはいかず、自分のピックアップ・トラックで寝泊まりする。正にロデオ・カウボーイの生活だ。家に戻るのは今シーズンが終わった後の10月。それまではひたすら走り続ける。
彼らの赤ちゃんが寝起きして泣き始めたり、エドネイの爆音のようないびきのおかげで、ぼくとかみさんはあまり眠れなかったが、彼らは久しぶりのベッドでよく眠れたようだった。
翌朝、しばしの別れのハグをして、彼らはシェリダンへ向けて旅立った。
ぼくとかみさんはソルトレイクへ向けて車を走らせた。



ニーファイにて スカイダイバーが国旗と共に降りてきた!


7月15日土曜日。
今回の滞在でロデオに出られる最後のチャンス。会場はユタ州ニーファイ。
その前に、まずはショーンのところでバレルで練習。彼から直すべき点などのアドヴァイスを受けた。そして、まだ確実に出場できると決まったわけではないので、少し早めに彼の家を出て、会場へ向かう。
ニーファイは、何度も出場したことのあるロデオだ。勝手知ったるではないが、選手向けの駐車場の場所、ロデオ・オフィス、選手向けの食事を取る場所、バッキング・シュート、そこまでの道筋、すべて覚えている。
そのロデオ・オフィスへ直行し、今日出場できる機会があるかどうか、PRCAの担当者に聞いた。「3名欠場するので、枠はあるわ。出る?」「もちろん!そのために来た」
ルイの最後のロデオに出場するという念願は、まず叶った。
すぐさまどのブルに騎乗するか抽選があり、ブルも決まった。
ロデオ開始までまだ2時間近くある。車に戻ってかみさんに報告し、次にルイの家族にも伝えた。
ルイの家族総出で、この会場に来ていた。3人の子供たちと奥さんはもちろん、彼の母親も遅れてやってきた。実は、ぼくとかみさんがこの2週間お世話になっているのは、ルイの母親の家だ。ぼくに至っては、もう10年以上もお世話になっている。ぼくら二人にとっても、母親のような存在だ。
バッキング・シュートで待機していると懐かしい顔ぶれが揃っていた。かつて共に練習をし、時には彼らのトラックに乗せてもらって同じロデオに出場し、出番になれば声をからげて応援しあった仲間たちだ。ワイオミング州からエドネイも戻ってきていた。この自分の出番を待つ時間、様々な思いが頭をよぎった。お世話になった人たちの顔を思い浮かべていた。



ニーファイにて ロデオ後の選手たちが食事を取る場所



ここでも8秒には至らなかった。おそらく、2秒くらいだろう。


赤いシャツのブルファイターがルイ・ジョーンズ




エドネイは、落ちた後、ブルの角で右脚の付け根を突かれ、負傷した。しかし、明日の昼にはまたララミーでロデオがあるので、ピックアップ・トラックに心配する奥さんと赤ちゃんを乗せ、ララミーへ向かった。大量のアイス・パックを右脚の付け根にあてがいながら。
アリーナでは、このロデオで引退するルイを称えるセレモニーが開かれた。
それを見届け、ギア・バッグをしょって車に向かうと、すでにルイが自分のトレーラーの横で一人缶ビールを開けていた。一息ついてから、「飲むか?」と聞かれたので、ギア・バッグをそこに置き、遠慮なくもらった。Coorsは久しぶりだ。二人だけで飲むのも、ずいぶんと久しぶりだ。そもそも、ぼくがいつも酒は断ってきたからだが。
祝杯、ではない。彼の表情はなんともやりきれない、寂しさが溢れていた。やはり20年以上携わってきたロデオは、彼の人生のほとんどを占めていた。子供たちが成長し、彼らとの時間を大切にするうえで、これ以上自分の時間をロデオには費やせないと判断し、この決断に至った。昨年からその話は聞いていたとはいえ、この瞬間が訪れるまでルイ自身も認識するのは難しかったかもしれない。訪れてしまうと言葉には言い表せない感情が沸き上がり、それがルイの表情をさらに複雑にする。その瞬間を共に過ごせたことは、ぼくの人生でも大きな宝となる。いままで本当に多くの意味でぼくは彼のお世話になってきた。彼と彼の家族なくして、今のぼくのロデオはない。

ルイの最後のロデオで8秒乗って、彼の最後のロデオを締めくくりたいという野望は、叶わなかった。『ハッピーエンド』とはいかなかった。
2週間、3つのロデオ、またしても8秒はなし。
2017年シーズンは、これで終わってしまった。
それでも、やっぱりロデオは最高だ。







FWD▶

  

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