Jin's Report 2011

□ □ □ ■ □ □ □ □ □ □

苛立ち

第10戦 7月9日

【移動距離219マイル/約350km】
“Silver State Stampede”Elko, NV. (PRCA)
“シルバー・ステイト・スタンピード”
ネヴァダ州 エルコ

グレイト・ソルト・レイク その脇を長大な貨物列車が走り抜けていく
グレイト・ソルト・レイク
その脇を長大な貨物列車が走り抜けていく

I-80(インターステイト80号線)を西へ向かう。ユタの象徴でもあるグレイト・ソルト・レイクの南端をかすめ、塩の砂漠を通り抜け、山を越える。クルーズ・コントロールを駆使して走る私を、何台もの車が追い越していく。フリーウェイは果てしなく続いているというのに、そんなに急いでどこへ向かうのだろう?
そんななか、1台の車の助手席に座るカウボーイ・ハットをかぶった男性が、追い越しざまに私の車と顔を覗き込むようにして見つめていった。すると、まるで私に追いついてこいと誘うかのように、その車はスピードを落としていく。窓を開け、プレリュードをその横に並べると、相手の車も窓を開けた。顔を出したのはリー・ウールジィだった。
「どこへ行くんだい?」フリーウェイを時速60マイル超(時速約100キロ)で走りながらリーが声をかけてきた。
「エルコだよ。リーもかい?」
「ああ。なんだったら、一緒に乗ってくか?」
それは、ありがたい。ガソリン代が高くつく今日この頃、旅仲間がいれば、それを折半できる。ユタとネヴァダの州境の町で私の車を止め、彼らの車に乗り込んだ。車を運転していたのは、同じくユタ出身のブルライダー、ハッチ・ハスラムだった。

レモネードを販売していた乳がん撲滅キャンペーンのテント
レモネードを販売していた
乳がん撲滅キャンペーンのテント

エルコにはロデオ開始の2時間前に着いた。それでも会場には人が集まり始めていた。
実は、このロデオへの出場が決まったのは二日前の木曜日。正規のエントリー期間にエントリーをかけたが、選考から漏れていた。しかし、あまりロデオの間隔を空けたくない私は、もしかしたら?!と思いPRCAに電話したのが二日前だった。
先週のカウボーイ・クリスマスを終えてケガをする選手や、二つのロデオが同じ日に重なってしまい、どちらかの出場を見送らなくてはいけない選手もでてくる。ロデオの日程を調整するのは、エントリー次第だが、自分でしなくてはならない。運悪く重なると、加算される賞金額や、自分の家から近いか、といった条件をあててみて選択しないといけない。もしくは、同じロデオでも違う日に出場する選手に連絡して、曜日を交換する。
そこで、直前になって一度エントリーから漏れた選手でも出場できる可能性が、少しだけ増える。PRCAとしても、出場枠に空きを作りたくはないので、エントリーから漏れた選手に連絡をとり、再エントリーする意向があるかどうか確認する。
今回は私から電話をかけエルコについて聞いてみたところ、やはり出場枠に空きができたため、選手を探しているところだった。そこに私が入った。

サドルで埋まってしまったシュート裏
サドルで埋まってしまったシュート裏

ロデオ・オフィスにてエントリー・フィー141ドルを払う。私のブルはバー・T・ロデオ社の302 Sevier シヴィア。受け付けの女性からレシートをもらい、「キャップを選んで!」と言われた。青、緑、赤、そしてベージュの4色があり、その中から1つだけもらえるとのことだった。私は、赤を選んだ。
リーとハッチと共に、会場を見てまわる。この日も乳がん撲滅キャンペーンの日で、テントでレモネードを売りながら募金を募っている。Tough Enough to Wear Pink Campaign(ピンク色を着る勇気はある?)と称して、PRCAは選手やロデオ実行委員会に協力を呼びかけている。私たちもそこでレモネードを購入し、40度近い暑さを少しだけしのいだ。
会場の写真を撮り、しばらくしてからギア・バッグを持ってシュート裏に向かった。ここのロデオ・アリーナは、競馬場の直線部分をフェンスで仕切り、そこへバッキング・シュートなどをはめこんだ形をしている。そのためかシュート裏も狭く、サドル・ブロンコの選手のサドルで場所が占領されて、足の踏み場もないくらいだ。かろうじて、スペースのはじにギア・バッグを置き準備は後に回した。
ブル・ペンでシヴィアを探す。角のない黒牛で、白い斑点が顔にある。小型の部類に入る大きさだった。


見事な演技を披露した騎馬隊の女の子たち
見事な演技を披露した騎馬隊の女の子たち

それほど席数は多くなさそうだが、正面のグランド・スタンドは満席のようだ。ロデオが始まる前に、アイダホからわざわざ招待された騎馬隊が演技を披露した。8歳から14歳の女の子たちがネイティブ・アメリカンの衣装をまとい、馬に鞍をつけず、しかも手綱ではなく皮ひもを馬の首に巻いただけで馬を操るという演技だった。そのバランスと馬さばきは見事だった。
それから通常のオープニング・セレモニーが始まった。ここでも女性の騎馬隊がピンク色の衣装を着て、さっそうと登場する。そんな華やかな彼女たちがアリーナから去り、間を空けずにベアバックが始まる。
何人かの選手のライドを見てから、私はストレッチを始めた。シュート裏のはずれ、競馬場全体で見ると中庭に当たるような場所でおこなった。
競技が進むにつれ日が暮れていく。競技を終えたベアバックの選手がシュート裏から去り、サドル・ブロンコの選手も終わった選手から去っていき、シュート裏にスペースが広がっていく。それをみてブルライダーたちは準備を始める。私もシュート裏に戻った。
ブルたちは早い段階でデリヴァリーに運ばれてきた。シヴィアは右のデリヴァリーに待機している。今日出場するブルライダーは14人。ハッチとリーは私よりも先に出た。二人とも8秒乗れなかった。

302 Sevier シヴィア
302 Sevier シヴィア

私は最後から3番目だった。近くにいた選手にロープを締めるのを手伝ってもらい、違う選手に動画を頼んだのだが、結果として彼は撮り損ねたようだった。が、むしろ私としてはありがたかった。というのも、まったく良くなかったからだ。自分でも悲しくなるほどのライドだった。おそらく2秒ほどだろう。シュートからゆっくりと飛び出したシヴィアは2回ジャンプを決めると、左へ強烈なコーナーを決めた。私はそこで落ちた。第3戦、トゥイラのときに『課題』とした、同じパターン。それで、このライドだ。
自分で自分に腹を立て、「情けねぇ」と思わず口に出た。苛立ちから解放されるには、しばらく時間が必要だった。

試合後、ハッチの車へ戻り、彼にガス代を幾分か払う。そして彼だけがユタへ戻っていった。私とリーはここに泊まることにした。リーの友達であるサドル・ブロンコの選手が家族と共に来ていて、ホテルに部屋を取っていた。私たちはそこへ転がり込むことになった。
が、まっすぐホテルへ向かうのではなく、私たちはグランド・スタンド脇にあるパーティー会場へ足を向けた。気分を変えたかった。
すでにライブ・バンドが演奏を始め、観客と選手でごったがえしている。
夜は、長くなりそうだった。

(この後の様子は7月のラングラーのエッセイにて紹介します)

シルバー・ステイト・スタンピード コンンテスタント・キャップ 2011年モデル
シルバー・ステイト・スタンピード
コンンテスタント・キャップ 2011年モデル

 

クリックで拡大、ドラッグが出来ます

  

CONTENTS

PAGE TOP