Jin's Report 2012

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幸運

第10戦 7月20日

【移動距離8マイル/約12.8km】
“Days of ’47 Rodeo” Salt Lake City, UT. (PRCA)
“デイズ・オブ・'47・ロデオ”
ユタ州ソルト・レイク・シティ

シュートから出る直前のサドル・ブロンコ・ライダー
シュートから出る直前のサドル・ブロンコ・ライダー

車で、わずか20分。
会場となるマーヴェリック・センターまでの時間だ。ここソルト・レイクを拠点とするようになってから、このロデオに対する思い入れは、ひときわ強くなった。この地が、今では私のホームタウンだからかもしれない。
だが、今年は最初のエントリーからは漏れた。毎年のことだが、ユタ州は7月24日が祝日のため、その日を最終日とする大きなロデオが州内だけで3つある。オグデン、スパニッシュ・フォーク、そしてソルト・レイク。さらにほとんど同じスケジュールで、アイダホ州ナンパ、カリフォルニア州サリィナス、ワイオミング州シャイアンとある。これら6つのロデオのために、世界ランキング上位の選手たちだけでなく、あちこちから多くの選手たちが、こぞって西部までやってくる。私はサリィナスを除く5つのロデオにエントリーをかけたが、そのすべてから漏れた。6つのロデオすべてが、賞金額が高いだけでなく出場参加選手数も多く、期間も4日から5日、シャイアンにいたっては9日間という桁違いの規模を誇るロデオだ。
しかし幸運なことに、このソルト・レイクの始まる1週間前、PRCAから電話があり、この20日の出場の機会を与えられた。本来出場する予定の選手が棄権したからだ。
そしてさらなる幸運にも恵まれた。抽選であたったブルはダイアモンド・G・ロデオ社のK69 Elk Hunt エルク・ハント。ケガから復帰の初戦、シーダー・シティで当たった小型の、筋肉の塊のようなブルだ。こんなに早く再戦できるとは思わなかった!嬉しくて、飛び上がりたい衝動を抑えた。

スティア・レスリング
スティア・レスリング

会場に入り、エントリー・フィー221ドルを払いブル・ペンへエルク・ハントを探しにいく。が、あの漆黒のブルが見当たらない。顔見知りとなったダイアモンド・Gのスタッフに声をかけ、あっちのペン、こっちのペンと探すが、エルク・ハントがいない。ようやく、彼らもいないことに気づき、あわてた表情で、会場の中と外を走り始めた。
結果として知らされたことは、彼の体調が悪く、牧場からも連れてこなかったらしい。そのため、急遽私のために違うブルが用意されていた。K611 Whirlybird ワーリーバード。エルク・ハントより少し大きいが、デリヴァリーも同じ、特徴も似ている、とのことだった。
当日になってブルが変更されるというのは、私としても初めてのことだったが、ブルとはいえ生き物なので、彼らの体調が悪くなることもある。エルク・ハントとの再戦は流れてしまったが、与えられたブルに乗るのみ、だ。

K611 Whirlybird ワーリーバード
K611 Whirlybird ワーリーバード

中休みで、地元のカントリー・シンガーのライブなどがはいり、ブルライディングにたどり着くまでが長かった。ブルライダーたちは、身体を動かしたり、じっと座ったままだったり、ストレッチをしたり、その出番が来るまで、ひたすら待った。バレル・レーシングが始まって、ワーリーバードが左側のデリヴァリーに入ってきた。私も、ロープを巻いた。
珍しいことに、この日出場したブルライダーにユタ出身の選手が一人もいなかった。しかし、その顔ぶれは豪華だった。2004年のワールド・チャンピオン、ダスティン・エリオット。PBRワールド・ファイナルズに出場した経験を持つジョシュ・コッシェルとストーミー・ウィング。80年代後半から90年代にかけて活躍したスコット・ブレディングの息子パーカー・ブレディング(今年の新人王候補の一人だ)、そして昨年のワールド・チャンピオン、シェイン・プロクター。他の選手は、遠くペンシルヴァニアからきた選手をはじめとして、オレゴン、カリフォルニア、コロラド、サウス・ダコタ、テキサス、ニュー・メキシコ、ネヴァダから来ていた。

ロデオの半ばに登場したカントリー・シンガー。終了後もまたライブを披露してくれました
ロデオの半ばに登場したカントリー・シンガー。
終了後もまたライブを披露してくれました

ティーム・ローピング
ティーム・ローピング

この夏のロデオから、ロデオ・アナウンサーが私のことを「PRCAに所属するただ一人の日本人ブルライダー」と紹介してくれるようになった。私の名前の読みづらさ、発音のしにくさから、覚えてくれるロデオ・アナウンサーが増えたことは確かだ。しかし、彼らもやはりプロフェッショナルで、一度覚えると、ほぼ間違いなく名前を呼んでくれる。さらにこの日、日本人とはいえユタ在住のブルライダーが私だけだったこともあって、紹介されたときの観客の反応が凄かった。
ワーリーバードに乗って感じたことは、先日のウェスト・ジョーダンであたったタイティ・ホワイティと似ていた。彼の肩幅が私の両脚にピタリとはまる。ちょうどいいサイズ、だ。これでエルク・ハントと似た動きをするのであれば、タイティ・ホワイティにも共通する左回りだ。そんなことが一瞬頭をよぎったが、すぐに打ち消した。
体勢を整えて、出た。最初の一歩、そのあとツツッという感じ、なにかつんのめるような感じで二歩目、しかも思ったより遅い。正直、コンマ何秒か静止した気がした。そして左へ回る。蹴り足が上がる。来た!スピードが上がり、二回り目。ついていって、3回転目。身体を前方に倒しすぎたか、両足が外れた。蹴り足が上がった時点で、またロープの上に戻っていなければいけないのに、遅れた。前につんのめるのは、今度は私の番だった。振り回されて、肩で弾かれて、グランドに飛ばされた。すぐに立ち上がり逃げるが、すでにワーリーバードは離れたところにいた。ヘルメットを外し、ブルファイターのアーロン・ハーゴからロープを受け取り、アリーナを出ようとするときに、落ちたにもかかわらず、なぜか大歓声を受けた。
この日14人が出場して、8秒乗りきったのはシェイン・プロクターだけだった。ロデオが終わり、最後に彼と写真を撮らせてもらった。私は覚えていなかったが、ずいぶん前にPBRの試合で顔を合わせたことを、彼が覚えていた。
ロデオの世界に入り、どれだけ多くの選手や関係者との出会いを繰り返してきたか、わからない。私と出会ったことを覚えてくれている選手や、関係者やファンが多い。この日のロデオ・アナウンサー、ジョーディ・カーパーもその一人で、数年前にカリフォルニア州サン・ディマスのロデオで初めて知り合った。
4年前、初めてDays of ‘47に出場したときに声をかけてくれたスタッフが、今年は「ジンイチロウサン」と声をかけてくれた。彼の奥さんが日本人ということもあり、覚えてくれていた。
片付けを終え、選手とボランティア・スタッフのために用意された食事をとりにいった。この日は特大のホットドッグ2種が用意されていた。席に着き、ほおばっていると、日本語が書かれたTシャツを着た男性に日本語で声をかけられた。20年以上前に岡山や広島で生活していたらしい。その彼の子供たちにサインをしてもらえないか?という申し出だった。断る理由はなにもなく、喜んで書かせていただいた。

2011年ワールド・チャンピオン、シェイン・プロクターと
2011年ワールド・チャンピオン
シェイン・プロクターと


日本人でただ一人。それだけで、これだけ多くの人たちに覚えてもらえるという幸運。ブルライディングという競技が私にもたらしてくれた、最高のプレゼントなのではないだろうか?
ホットドッグを食べ終わり、人々のありがたさを噛み締めて、「また来年」そう誓った。

2011年ワールド・チャンピオン、シェイン・プロクターと
ロデオが終了してなお、夜空に光る
マーヴェリック・センターのネオン

 

*この試合動画は撮影時の手違いで掲載できませんでした

クリックで拡大、ドラッグが出来ます

  

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