Jin's Report 2011

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指摘

第11戦 7月14日

【移動距離90マイル/約144km】
“Ute Stampede” Nephi, UT. (PRCA)
“ユテ・スタンピード”
ユタ州 ニーファイ



ここのところ、このレポートの書き出しがいつもショーンの家から始まっているが、今回も前日には彼の家に泊まりに来ていた。ここで練習をし、翌日の試合に備える、そんな図式ができあがっていた。しかもニーファイは彼の家から30分ほど。3月のゲイリー・レフューのスクールが行われた、あのアリーナだ。
このロデオから、またwowowの取材班が私と共に行動する。ディレクター氏は東京から再び飛んできて、コーディネーター、カメラマン、オーディオの3氏を途中のロサンジェルスから引き連れてきた。本格的な「密着」が、ここから始まった。
私がいつも世話になっているルイとジョーンズ一家をはじめ、彼らが撮りたいと思っている人たちは多く、ショーンも例外ではない。私に密着とはいえ、しぜんと登場人物が増えてくる。ユタで過ごしてきたこの10年という期間の私の人生を、彼らは掘り起こし、ブルライディングという競技の魅力と真実を描こうとしている。だからこそ、私もこの取材を受けた。

ブル・ペンの向こうには移動式遊園地(カーニヴァル)がきていました
ブル・ペンの向こうには移動式遊園地
(カーニヴァル)がきていました

試合当日。隣町に住むアレックスとセスがやってきて、私の練習を手伝ってくれた。数週間前、アレックスは乗り手の右腕をブルに踏まれて、肩からひじまで青あざが広がっていたが、その腫れも引き、元の太さに戻っていた。彼は翌日に出場する。セスはエントリーから漏れてしまったそうだ。
私がバレルにまたがり、ドリルを始める。ショーンが横に立ち、私の動きを細部にいたるまで観察し、修正すべき点を指摘してくれる。
「ひざの位置を高くするのはいいことだが、あまり曲げすぎないことだ。特に左脚。曲げすぎることで、かかとの位置が上がってくると、そんまま抜けることがほとんどだ」
フリーアームの位置、頭、上半身、ひざの位置、そしてつま先まで、完璧な姿勢を彼は求める。ブルの上での身体の動かし方、ポジショニングをドリルで反復し、身体に染み込ませていく。私がここに毎週通い詰めている理由だ。
一休みして、5時過ぎ。私と取材班は会場へ向かった。残念ながらショーンはサンダンスという町でトリック・ロープの仕事があり、ロデオにはこられなかった。出発前に彼から「自分を信じろ。お前はなすべきことをしてきている。それは必ず報われるし、報われるべきだ」と言われた。そこにカメラはなく、私と彼だけの会話だった。

ニーファイのロデオ・オフィス
ニーファイのロデオ・オフィス

会場に入り、プレリュードを止め、ロデオ・オフィスへ向かう途中、顔なじみのロッサー・ロデオ社とフライング・U・ロデオ社のスタッフに声をかけ握手を交わす。チェック・インのときに日本からわざわざテレビの取材がきている旨を告げると、彼らのために無料のチケットを用意してくれた。エントリー・フィーは141ドル。ブルはロッサー・ロデオ社の506 Tobassco トバスコ。シュート裏に行ってみると、まだ誰も来ていなかった。普段なら来ているはずの、ベアバックの選手の姿もなく、私が最初だった。たしかに始まるまでには時間がある。
トバスコを探しにブル・ペンを覗いてみるが、なかなか彼の番号が見つからない。太陽がまぶしすぎたり、私たちの立ち位置と反対側にブルの焼印があったりで、見分けられない。私たちも動き回るが、そうするとブルたちも動く。探し当てるまでに、時間がかかってしまった。ようやく彼を見つけてくれたのは、ディレクター氏だった。トバスコを写真に収め、いったんシュート裏に戻り準備を始めた。
ロープにロージンを刷り込ませ、左手のグローブを外したところへ、ルイがやってきた。ここでもルイがブルファイターを務める。他に、ダレル・ディッフェンバックとアーロン・ハーゴという組み合わせだ。ブルライダーとしてみれば、ルイとダレルがアリーナにいるだけで、どれだけ多くの不安が払拭されることか。落ちたとしても、彼らなら間違いなく私たちを、どんなことがあっても守ってくれる。

空から降ってきた星条旗
空から降ってきた星条旗

出場はしないが、近くに住むブルライダーたちも観戦しにきている。彼らとも話を交え、時間をつぶす。ロデオ開始は午後8時。始まる少し前に、選手用に用意されたサンドイッチをほおばり、アリーナに戻ってからオープニング・セレモニーを眺めた。
「超」がつくほど巨大な星条旗がパラシュートとともに空から降ってくる。地上に降り立つと、すぐさま迷彩服を着たナショナル・ガード(州兵)がその国旗を広げ、国歌斉唱。
続くベアバックを見終えてから、車の近くの芝生でストレッチを始めた。どの種目も出場する選手が少ないのだが、合間のアトラクションが多く、ブルライディングまでには時間がある。じっくりと時間をかけて、身体を伸ばし、ほぐした。
ティーム・ローピングが始まった時点でシュート裏に戻り、救急隊員に右脚から付け根にかけてテープを巻いてもらった。最後の準備を整えて、あとは出番を待つ。ブルがデリヴァリーに運ばれてきたのは、それから間もなく。ニーファイのシュートはすべて右向き。この日出場する選手は9人。トバスコもシュートに入ったので、ロープを巻いた。
それから実際ブルに乗るまでにかなり時間が空いた。通常なら、バレル・レーシングの直後にブルライディングが始まるが、この日はモトクロスのショーなどが入った。シュートに立ち、ブルを目の前にしながら、夜空に舞うバイクの演技を見つめる。集中力が途切れる事はない。そこへシュート・ボスがやってきて、私が一番に出ると伝えられた。私は、いつでも出られる状態だった。
モトクロスのためのトラックや舞台が片付けられ、ブルファイター3人とロデオ・クラウンのトロイ・ワーレルが紹介される。


506 Tobassco トバスコ
506 Tobassco トバスコ

このトバスコ、昨年の5月に8秒乗られてから1年以上、誰一人8秒乗っていない。いったいどんな動き、暴れっぷりを見せてくれるのか?
アリーナの内側にいるルイに発破をかけられる。先週、ブルライディングでアゴを粉砕されたチャドにロープを締めるのを手伝ってもらい、私はロープを温めなおす。そしてゴー・サインを出した。
飛び出すと同時に蹴り足が上がる。次のジャンプも高くはない。次も、その次も毎回のキックのたびに後ろ足をこれでもかといわんばかりに伸ばし、高く蹴り上げる。そのリズムが早い。3度目のキックが終わって、左のコーナー。これにはついていった。そのまま左へ鋭角に曲がる。この動きに対しては、左肩を前に出し身体を少しねじり、左脚に体重を乗せ、顔を左肩に乗せながら、フリーアームはむしろ頭の後ろになければいけない。が、そのフリーアームは顔の前にある。そして、ショーンに指摘されていた左のひざは曲がりすぎていて、かかと(スパー)の位置が高い。次の瞬間、スッポリとぬけると、ブルの背中の上で振り回されてグラウンドにたたきつけられた。回り続けていたトバスコの後ろ足が鎌のように降ってくる。着地した場所は私の目と鼻の先だった。そこへルイが割って入り、片手をかざしてブルの注意を引きつける。逃げる私の後ろで、ルイはトバスコを難なくあしらっていた。
ブルファイターとしてのルイ・ジョーンズの力量が、いかんなく発揮されていた。

ヘルメットをたたきつける私を見て、「顔を上げろ!」とルイにたしなめられる。ロープを渡され、私はアリーナを去った。
いったんはベンチに座るが、他の選手がまだいる。再びシュートに立ち、彼らの応援に回った。何人かの選手がスコアを出していく。地元ニーファイ出身で、WNFRにも出場経験のあるジェリー・シェパードが最後のブルライダーだった。観客の盛り上がりも最高潮に達するが、残念ながらジェリーは5秒ほどで落ちてしまった。
すべてが終わり、ギアをしまう。ダレルがやってきて、私の目の前に立ち、喝をいれられた。カメラはその様子も捉えている。そして、インタビューを受ける。その合間に、ほかの選手がシュート裏から去っていく。
インタビューが終わると、もう誰もいなかった。
この日最初に来た私が、最後にシュート裏を出た。

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