Jin's Report 2011

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伏線

第13戦 7月22日

【移動距離370マイル/約592km】
“Snake River Stampede” Nampa, ID. (PRCA)
“スネイク・リヴァー・スタンピード”
アイダホ州 ナンパ




ブッチとの対戦の興奮が冷めやらぬうちに、ナンパへ向かう。
昨夜、家に帰ってきてからも、やはりすぐには眠れなかった。早朝になって、ようやく眠れたほどだ。その数時間後に、私の携帯が鳴った。ベッドから出たくはなかったが、すでに取材班の人たちが、私の家の前に来ていた。眠気眼をこすりこすりドアを開け、彼らを迎え入れた。目に刺す日差しが眩しかった。
支度を済ませ、出発!というまでにしばらく時間がかかってしまった。この週末はこのナンパとカリフォルニア州トラッキーの2試合。にもかかわらず、遠征の準備をまったくしていなかったからだ。10時には出発という予定が、もう11時近かった。
I-15(インターステイト15号線)を北へ。アイダホとの州境を超える手前でI-84(インターステイト84号線)に入り北西へ進む。プレリュードの中でも、助手席に座るディレクター氏からインタビューを受ける。後ろでは、フリーウェイを走る私の車をカメラに収めている。

Snake River Stampedeのロゴが掲げられている アイダホ・センター
Snake River Stampedeのロゴが掲げられている
アイダホ・センター

6時間ほどで到着すると思っていたが、食事などで時間を取ったためにアリーナに着いたときには午後7時だった。会場はアイダホ・センターというインドア・アリーナで、昨夜のマーヴェリック・センターより大きいかもしれない。選手用の駐車場の入り口で、自分が出場選手であることと日本からテレビの取材が来ていることを告げると、係員が「ちょっとその先で車を止めて待っていてくれ。エスコート・サービスをつけるから」という。
「エスコート・サービス?!」
この取材期間中、私が出場するロデオに関しては、PRCAからそれぞれのロデオ実行委員会に「日本から取材がきている」という伝達がされている。とはいえ、そこまでしてくれるのか?
15分ほど待っていると、ロデオの実行委員長と女性が一人やってきて、わざわざ私たちの、2台の車のために空いている場所を探してきてくれて、誘導してくれた。車を下りてからも、ロデオ・オフィスやカメラの設置場所など、親切に案内してくれた。
取材をしにきたディレクター氏らさえも、この待遇には驚きを隠していなかった。もらったパスを首にかけ、これでシュート裏から客席まで、どこへでも行ける。

オープニング・セレモニー前の打ち合わせに 参加するカウガールたち
オープニング・セレモニー前の打ち合わせに
参加するカウガールたち

ロデオ開始は8時。私はオフィスでエントリー・フィー221ドルを支払い、すぐにブルを探しにいった。今日のブルはドゥー・オア・ダイ・ロデオ社の349 White Back ホワイト・バック。白い体に黒い斑点があちこちにある。でも、たしかに背中だけは真っ白だ。耳札にも349と書いてあるので、わかりやすい。ストック・コントラクターを探したが見当たらず、そのまま右側のシュート裏で準備を始めた。昨夜の泥がついたブーツやスパーをブラシでこすり、泥を落とす。アリーナではすでにオープニング・セレモニーが始まっている。場内の照明を落とし、電飾をつけたカウガールたちが演技を見せる。金曜の夜ということもあってか、ほぼ満席の観客から喝采を浴びていた。
そんな真っ暗な中で、一人の女性が私に声をかけてきた。私のブルのストック・コントラクターだった。ホワイト・バックは左のデリヴァリーに運ばれること、ほとんどの場合がシュートから出てすぐに左へ回り込むこと、を教えてくれた。これが伏線になってしまった。
私は反対側のシュート裏に移動した。オープニング・セレモニーが終わり、照明が再び灯ってから、ロープをかけ準備を整え、ベアバックが終わる頃に一度外に出て、ストレッチを始めた。
それを終えてからアリーナの中に戻ってみると、まだサドル・ブロンコも終わっていなかった。賞金額が高いために出場選手が多く、種目と種目のあいだにアトラクションもあったからだろう、普段より時間の経過が遅い。シュート裏で、またストレッチをし、身体をほぐす。バレル・レーシングが始まる前に、メディカル・スタッフに右脚の付け根にテープを巻いてもらう。ブルたちがデリヴァリーに運ばれてきたので、選手たちは自分のブルにロープを巻いていく。ホワイト・バックは昨夜のブッチに比べると、小さい。ロープの輪(ループ)を何度か調節してテイルの位置を合わせる。チャップスとヴェストをつけ、あとは出番を待つのみだ。

ドゥー・オア・ダイ・ロデオ社の 349 White Back ホワイト・バック
ドゥー・オア・ダイ・ロデオ社の
349 White Back ホワイト・バック


最初の選手が出てすぐに、私が3番目に出ると告げられた。前の選手はもう出ようとしている。私もすぐにヘルメットをかぶりグローブをつけるが、私のロープを締めるのを手伝ってくれる選手はいなかった。珍しい事に、私に指示を出したそのシュート・ボスが手伝ってくれた。ロデオ・アナウンサーが、日本からテレビ番組の取材がきていることを場内に告げると、観客も沸いた。割れんばかりの歓声が場内にとどろく。足の位置に気をつけて、ゴー・サインを出した。
ファースト・ジャンプは軽いと感じた。が、次のジャンプが高かった。沈み込んで、うねるようにして右へ回り込む。蹴り足も高い。が、そんな彼の動きについていく間もなく、私は自分で自分自身を彼の左側に振り落としていた。「左へ回る」と思い込んでいた、私のミスだった。ブルは、思い通りにはいかないことを、知っているにもかかわらず、ストック・コントラクターの言葉を聞いて、ブルの動きを予想した私のミスだった。
あっけなかった。

満員の観客で埋まったスタンド
満員の観客で埋まったスタンド

カリフォルニアから来ていたチャド・デントン、ミシシッピから来ていたチャンス・スマートといったWNFR経験者も落ちていった。そんななか、ユタから来ていたカーター・ダウニングが86点という高得点を出した。しかも直前にチャンス・スマートがブルにK.O.されて、しばらくアリーナの中で身動きすらせず、観客が固唾を呑んで見守る中、担架で運ばれていった。そういう状況でも、カーターは集中力を切らすことなく、自分のブルのことだけを考えていた。
余計に、彼のライドに対する観客の反応は、すごかった。会場の雰囲気を彼の8秒が、変えた。というか、会場全体の雰囲気が、変わってしまった。「明暗」とは、このことだろう。
シュート裏に戻ってきた彼とハイ・ファイブを交わし、彼が間違いなくナンパでの最終日に行われる決勝に残れることを、私も喜び、祝った。この日、このカーターのスコアを超える選手は出なかった。

ロデオが終わる。いつもどおりギアを片付け、チャドやカーターと先のロデオ・スケジュールの話をし、別れた。メディカル・ルームに寄って、チャンスの具合を確かめた。目を覚まし、会話を交わせてはいた。私も経験があるが、おそらく彼は何も覚えていないだろう。車へ向かう途中、自分のライドを振り返り、カーターのライドを振り返り、私は何故彼のように乗れないのか?思案に暮れた。
ギア・バックを車のトランクに収め、反省のインタビューを受ける。今日のライドのことを考えるのは、このときまで。次の試合へ、照準を合わせるしかない。
昨年WNFRに出場したチャドは、今年はひざのケガで昨年のようなシーズンを過ごしていない。今日、彼も落ちた。その彼に言われた一言が頭の中でこだまする。
「Always, tomorrow.」

翌朝、選手用の食事が提供されるテントにて寛ぐ老カウボーイ
翌朝、選手用の食事が提供される
テントにて寛ぐ老カウボーイ


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