Jin's Report 2011

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撮影

第14戦 7月24日

【移動距離434マイル/約694.4km】
“Truckee Championship Prorodeo” Truckee, CA. (PRCA)
“トラッキー・チャンピオンシップ・プロロデオ”
カリフォルニア州 トラッキー




アイダホからハイウェイ95号線を南下して、オレゴンをかすめネヴァダに入り、途中からI-80に乗って西へ。ナンパでのロデオ翌日に、トラッキーへ向かった。広大なアメリカを感じさせてくれる道のりだった。
トラッキーに来るのは初めてだったのだが、これほどまでにリゾート地として栄えているとは思いもよらなかった。歴史ある町並みをそのまま残しているダウンタウンは、風情があって、昔の『西部』を感じさせてくれる。今週末にロデオが開催される、というだけではなく、おそらく毎週末ここには観光客が押し寄せてくるのだろう。

アイダホからオレゴンへ向かう途中のハイウェイ95号線
アイダホからオレゴンへ向かう途中の
ハイウェイ95号線

ロデオ・グラウンドは町のはずれにあった。いったんその駐車場にプレリュードを止め、取材班とともに夕食にでかけた。メインストリートにあるどのレストランやバーからも人があふれていた。閉店間際のダイナーに駆け込んで、とりあえず長旅の疲れを癒した。
中に入ってわかったのだが、「food network」というアメリカのケーブルテレビ局の番組でも紹介されたらしく、この町やカリフォルニアだけではなく、全米規模で有名なダイナーらしい。
10時間近いドライブのあとの栄養補給ということで、私はここの自慢のハンバーガーをいただいた。食事を終えて外に出ると、空気がひんやりと冷たい。町の夜は長そうだったが、私たちはロデオ・グラウンドに戻った。そこで私は車の助手席を倒し、寝床を整えて眠りについた。

町のダイナーでいただいたハンバーガー 重かったです…
町のダイナーでいただいたハンバーガー
重かったです…


翌朝からまた撮影が始まった。まだ車の中で寝ている間から、カメラは回っていた。こんなに早く皆起きていたのかと思うと、むしろ感心してしまった。
ロデオ開始は午後1時。まだ駐車場のゲートも開いていない。散歩がてらシュート裏のブル・ペンでブルを探した。今日のブルはフォー・スター・ロデオ社の506 Capone カポネ。それほど多くのブルがいなかったために、たやすく見つけることが出来た。ロデオ・オフィスも開いていたので、エントリー・フィー101ドルを払った。
そのあとロデオ・アリーナも見て回る。メイン・スタンドもバッキング・シュートも、なんともいえない趣がある。一言で言えば「古い」のだが、それがまた「味」を醸し出していた。反対側は芝生の斜面になっていて、そこで寝転がってロデオを観戦できる。
それからしばらく駐車場のゲートが開くのを待ち、朝食を食べにダウンタウンに向かった。町のカフェにも歴史を感じさせる看板がかかっていて、客がひっきりなしに出入りしている。運よく5人のテーブルが空いたからよかったが、私たちのあとの客は20分から30分待ちだった。私は、それほどお腹は空いていなかったので、煎れたてのコーヒーだけいただいた。

ドゥー・オア・ダイ・ロデオ社の 349 White Back ホワイト・バック
カフェの看板 結局お店の名前は分からず

しばらくダウンタウンを撮影したあと、ロデオ・グラウンドに戻る。ギア・バッグを車から出し、シュート裏へ行き、準備を始めた。先日のナンパとは違い、出場選手が極端に少ない。プログラムを見ると、合間のアトラクションもそれほどない。早めに準備をしたほうが、よさそうだった。オープニング・セレモニーが終わってすぐに、車まで戻りストレッチを始めた。
車の中で寝た翌朝は、特に固い。朝方は少し寒いくらいだったが、真上にある太陽からの日差しは強く、暑い。ストレッチをしながらも、頭がボーッとしてくる。それでも、時間をかけて身体を伸ばした。
最後に呼吸を整えて、シュート裏に戻る。しばらく日陰に隠れて、他のブルライダーたちと下らない話をしていた。このときは皆、リラックスしている。そしてブルが運ばれてくると、表情が変わる。立ち上がりチャップスをつけ、ロープを手にした。
トラッキーのシュートは右向き一列のみ。カポネもシュートに入った。私もロープを巻きつける。シュート・ボスから私が最初に出ると告げられた。

フォー・スター・ロデオ社 506 Capone カポネ
フォー・スター・ロデオ社
506 Capone カポネ


板1枚しかないシュートに登り、中で待つカポネに乗る。この時点で彼はいらだっているのか、体を左右に振り、後ろ足を何度も蹴り上げる。とにかく落ち着きがない。ロープを締め付けたあとも、こちらに思うような体勢を取らせてくれない。私の両ひざが激しくシュートにぶつかる。早く出たほうがいいのだが、中途半端な体勢で出ては、すぐに落ちるだけだ。反面、このあたりの攻防もブルライディングの一部なのだが、もっとも危険な場所であるシュートからは、やはり早く出たい。すばやく両足の位置を取って、ゴー・サインを出した。
彼は前に行かず、いったんシュートの中で飛び跳ね、体を前後のスライド・ドアにぶつけ、それから前を向いて飛び出すと、すぐに彼の腰の左側がゲートに当たった。私は右手でロープのハンドルを持ち、自ら飛び降りた。ジャッジに対して、リライドを申請したのだ。
ジャッジもそれを認めてくれて、違うブルが私に与えられた。名前はわからない。ただ、焼印で0014と押されている、灰色がかった小さい斑点が体中を覆っているブルだった。残りの選手が乗っている間、また私はロープにロージンを刷り込ませ、温める。すべての選手が乗り終えた後、再び私の出番だ。

シュートに登る直前、左足のスパーが外れかかっている事に気づいた。ストック・コントラクターやシュート・ボスも私を急かすことなく、時間を与えてくれた。「ありがたい」一呼吸置く、時間があった。
0014はカポネよりも一回り小さい。ロープを巻きつけているときに、ブルファイターの一人が、「こいつはいいぜ!」と教えてくれた。シュートの中でも暴れることなく、すんなりと準備をさせてくれた。右手をかざし、ゴー・サインを出した。
出だしが早い。2度目のジャンプが高い。そして左へのコーナー。この時点で私のフリーアームが下がっている。その腕の重さと勢いで、左足が外れていく。彼は、そのまま跳ねるようにして左へ回る。外へ流されるようにして、私の体が彼の中心からずれる。こうなると立て直すことは、ほぼ不可能だ。仰向けの状態で振り回され、私の視界にシュートが目に入る。「視線の先に落ちる」という鉄則のとおり、私はシュートの前に落ちた。私を置いたまま、0014は走り去っていった。立ち上がり、ブルファイター二人と言葉を交わす。また左へ回るブルを乗りこなすことができなかった。

ギアを片付けるのも、最後だった。シュート裏から車に戻るまでに、何人かの人が声をかけてくれた。ありがたかったが、自分の納得のいく結果を得ていないこともあって、素直に喜べない自分がいた。
車に戻ると、インタビューが始まった。この撮影期間中、結局一度も8秒乗ることができなかった。恥ずかしい思いしかなかった。ただ、この撮影を通じて、ブルライディングを含めた『ロデオ』という競技と、それに生きているカウボーイたちを少しでも知ってもらえるならば、私は自分の役目を果たしたと思う。
着替えを終えた時点で、ディレクター氏から「最後にもう一度、場所を変えて落ち着いたところで、座って話を聞かせてもらいたいのですが」と申し込まれた。彼の中で、まだ何かが足りないらしい。この企画を番組として必ず良いものにする、という彼の意気込みは当初から感じていたし、それを貫徹するためには、彼も妥協はしない人だ。もう話すことなどないと思っていたが、乗りかかった舟である以上、私も最後まで付き合わざるを得ないし、私は彼のような人を嫌いではない。
彼らの車で案内された場所は、カリフォルニアの針葉樹林が広がるキャンプ・グラウンドで、そこのベンチで、最後のインタビューを受けた。風の吹く音以外、まったく雑音がない空間だった。果たして、彼が私の口から引き出したいと思っている言葉を、引き出せたかどうかはわからない。最後に語り終えると、立ち上がって「おつかれさまでした!ありがとうございました!」とおっしゃってくれた。


最後のインタビューの場所で 巨大な松ぼっくりで辺り一面敷き詰められていました
最後のインタビューの場所で
巨大な松ぼっくりで辺り一面敷き詰められていました

この日は一度ネヴァダの町に戻り、祝杯ではないが打ち上げを行い、また車で寝た。翌朝トラッキーに戻り、最後の撮影としてヘリコプターからの空撮。交通事情もあり、何度か撮り直しもあったが、とにかくこれで終了した。
取材班の方々も安堵の表情を浮かべていた。ヘリの空港で、コーヒーを片手にこの撮影期間のことを振り返り、またこれからどう編集するのだろうか、といったことを話していた。
私はここで別れ、一人ソルト・レイクへ向かった。
彼らは、ロス・アンジェルスへと向かった。

この番組はwowowにて9月に放映されます。


今回共にロデオを回った取材班の方々
今回共にロデオを回った取材班の方々

別府さん、由佳さん、後藤さん、佐々木さん、長い間本当にありがとうございました。


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