Jin's Report 2011

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左脚

第19戦 8月20日

【移動距離1364マイル/約2182.4km】
“Horse Days”Belvidere, IL. (PRCA)
“ホース・デイズ”
イリノイ州 ベルヴィディア




これだけの距離を、わざわざフライトを使ってまで来たには理由があった。
私の学生時代の友人が、イリノイ州のすぐ東に位置するインディアナ州に住んでいて、彼と彼の家族から「いつかロデオを観てみたい、しかも仁が出場するロデオを」、という要望を受けていた。ここ数年の間のことだ。
今年の前半、このホース・デイズが早々にPRCAの年間スケジュールに組み込まれたのを受け、私は、このロデオに出場するようにスケジュールを組むことにした。ベルヴィディアはシカゴ郊外に位置し、友人の住むインディアナ州の町からも5時間ほどで来られると言う。シカゴのオヘア空港で私をピック・アップしてもらい、週末をシカゴで過ごすという計画を立てていた。

前日の19日にデイブのメモリアル・サーヴィス(日本でいうお通夜のようなもの)に参列した。ここで彼と最後のお別れをし、翌日の葬儀には参列せず、早朝にシカゴ行きのフライトに乗った。
シカゴに到着したのは午後1時。荷物受け取り場で私のギア・バッグが出てくるのを待てども、出てこない。業を煮やし、カウンターで問い合わせてみると、ギア・バッグは私のフライトには積まれておらず、次のフライトで到着するという。その「次のフライト」が着くのは2時間後。このギア・バッグがないことには、どうにもならない。私は空港で待つことにした。あいにく、私の友人もシカゴで渋滞に巻き込まれていて、到着していなかった。
さらに天候が追い討ちをかける。この日は巨大な雷雲がシカゴの上空を覆っていて、私のフライトが到着したときも大荒れだったが、これから到着するフライトは、この雷雲のおかげであまねく遅れるという。結局、ギア・バッグが届いたのは、4時を過ぎてからだった。ロデオ開始は7時。私たちはとにかく急いだ。

観客席もこのスタンド席のみ それでも多くの観客がきてくれてました
観客席もこのスタンド席のみ
それでも多くの観客がきてくれてました

ロデオ会場に着いたときは6時半を過ぎていた。急ぎロデオ・オフィスへ駆け込み、チェック・インだけは済ませた。すぐにブルを確認しにいく。私のブルはバーンズ・PRCA・ロデオ社のT31 T-Rickety T・リクティ。出場するブルライダーが3人しかいなかったために、ブルを探すのは容易だった。細身で小型、しかも鼻が曲がっている。分かりやすいブルだ。
彼を写真に収めてから、すぐに準備を始めた。ロープにロージンを刷り込ませて間もなく、雨が降り始めた。アリーナではオープニング・セレモニーが始まり、続いてベアバックが始まる。いったん雨を避けるためにロープをしまい、ストレッチを始めた。シュート裏にスペースはないが、シュート裏のすぐ近くに私たちをはじめ、選手たちの車が止まっている。ロデオ自体の規模も小さいが、アリーナも会場そのものも、こじんまりとしていて、ロデオがあまり盛んではない州とユタのような州との違いが明らかだ。だからこそ余計に、このような小さな町でロデオが開催されることに意義があるような気がした。
出場している選手もアイオワ、イリノイ、インディアナ、ウィスコンシン、ミシガン、ミネソタといったこの近隣の州からの選手ばかりだ。

バーンズ・PRCA・ロデオ社のT-31 T-Rickety T・リクティ
バーンズ・PRCA・ロデオ社の
T-31 T-Rickety T・リクティ

ストレッチをしながら左脚の様子を見る。先週のローガンから、ひたすら脚を休ませることに専念していた。が、痛みが消えることは、なかった。右脚の付け根も完治はしていない。ストレッチを終えて、これ以上筋肉を傷めることがないように、両脚の大腿部をテーピングで固めた。
出場選手が少ないこともあって、ブルライディングの始まりも早かった。私たちも3人しかいない。T・リクティがシュートに入ってから私が出るまで、数分もかからなかった。最初の選手が67点を出し、次の選手は8秒乗れなかった。
私はロープを巻くのをブルファイターの一人に手伝ってもらい、出る体勢を整えた。脚に力は入らないので、T・リクティの腹に添えるだけだ。そしてゴー・サインを出した。
勢いよく飛び出す。前傾姿勢を取り、ジャンプにはついていくが、着地の時点で両脚が外れる。次のジャンプはさらに高い。私も前傾姿勢を取るが、体重を支える両脚に力はなく、そのまま弾き出された。四つん這いの状態で逃げようとするが、動けない。まだ暴れ回るT・リクティからブルファイター二人が完璧に私を防御してくれていた。後ろを見やると、その彼と目が合うが、おとなしくブル・ペンへ引き下がってくれた。ブルファイターに助けられながら立ち上がり、シュート裏へと戻った。

動画を撮ってくれた友人と、観客席で観ていた彼の家族が私を囲んでくれた。彼らは両脚のことを心配してくれていたが、私から言葉はなかった。せがまれるがままに、そんな彼らと記念写真に収まった。
ストック・コントラクターのジョン・バーンズが声をかけてきたので、話をしてみると、私の乗ったブルはユタを拠点とするダイアモンド・G・ロデオ社から買い付けたブルだと教えてくれた。まさかこの地で、ダイアモンド・Gの名前を聞くとは思っていなかったし、まさか彼らのブルに当たっているとは思いもよらなかった。ユタから来た私が、ユタから来たブルに落とされた。なんともいえない縁だ。

バーンズ・PRCA・ロデオ社の大型トレーラー ブルやブロンコをこういうトレーラーに載せてロデオからロデオへと移動します
バーンズ・PRCA・ロデオ社の大型トレーラー
ブルやブロンコをこういうトレーラーに載せて
ロデオからロデオへと移動します


雨はまだやんでいなかった。片付けを終え、友人の車に乗り込み、応援に来てくれたことに対してお礼を言った。
車はシカゴへと向かった。
友人が、今夜の宿泊先として、ホテルをとっておいてくれた。
部屋で最初にしたことは、左脚に氷を当てることだった。


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