Jin's Report 2016

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欠場

第4戦 7月8日

【移動距離230マイル/約368km】
“Silver State Stampede”Elko, NV.(PRCA)
“シルヴァー・ステイト・スタンピード”
ネヴァダ州エルコ

本来であれば出場するはずだった。
7月4日のウェスト・ジョーダンでのロデオで踏まれた左脚の膨らみ方は、尋常でなかった。その夜から翌朝にかけて、アイスパックでひたすらアイシングをした。5日は一日中、ごみ箱に冷水を貯め、1時間おきに左脚を突っ込んで冷やし続けた。パンパンに腫れあがったその脚は、右脚の1.5倍近くあった。歩けば痛いので、右脚に重心を置いて引きずるか、四つん這いで移動するしかなかった。
その日一日を家で過ごしつつ、東京のストレングス&コンディショニング・コーチの竹田さんとも連絡を取った。膝から下の両脚の写真を撮って、こんな感じですと送ってみると、一言「折れているよ」と返ってきた。
レントゲンを撮ってちゃんと確認するべきだとの指示で、それまで折れているはずはない、と信じていたぼくも医者に行くことにした。
6日。午前中に町にある整形外科へ行ってみると、残念ながらその日は予約で埋まっているから診察することはできない、という。「隣の救急クリニックなら受け付けてもらえると思うわよ」と勧めてくれた。隣で聞いてみると、受け付けてくれるが診察開始は午後1時から。なので「その頃に戻ってきて欲しい」と。



昼食を済ませて、クリニックに戻り、問診票に記入してロビーで待つ。しばらくして名前を呼ばれて、診察室でさらに待つ。この医療機関で待っている時間が、ぼくは一番嫌いだ。特にロデオでケガをしてしまった時に来た時は。
医師と会い、レントゲンを撮る。すぐに結果は分かった。腓骨が折れていた。
この瞬間、8日のエルコの出場は消えた。ため息が出た。
その後の医師の話も聞き、何をすべきか、何をしてはいけないか、11日のフライトで東京に戻ることになっていたので、それまできちんと左脚を固定して、帰国してからまた東京の整形外科で診察を受け、診断を仰ぐように言われた。
「しばらくは松葉杖を使うように」
左脚に体重をかけることを極力避けるように念を押された。
とはいえ、ぼくのプレリュードはマニュアル・シフトだ。左足を使わないと、ギアを変えられない。とりあえず、家に帰るまでのわずかな距離だ。それだけ辛抱しよう。

それから最初にやることはPRCAに連絡することだった。
自分の意思でロデオを棄権すると、エントリー・フィーを払わないといけないが、医師の診断による欠場の場合は、支払う必要がない。ただし、それなりの手続きを踏まなければいけないので、PRCAに書類をfaxする必要があった。
竹田さんにも連絡をして、やはり折れていた事を告げた。緊急事態なのだから、すぐ帰国だよ!と叱られたが、フライト変更の効かないチケットだったので、そのまま予定通り11日に帰国することにした。


渡米してから毎日、SNSを通じて妻とも連絡は取っていた。もちろんケガをしたことも知っている。ただ骨折していたことを伝える時は、やはり気が重かった。
「今回はケガをしないで帰ってくる」と約束して日本を出た。その約束を破ってしまった以上、妻を悲しませることは間違いないし、弁解の余地もないし、ひたすら謝るしかなかった。
それからしばらく松葉杖での生活が続いた。もう慣れているとはいえ、歩きにくいことこの上ない。帰国当日も、ソルトレイク、LA、羽田の各空港で車いすを用意してもらい、空港内の移動するときに職員の方々が手伝ってくれた。本当にありがたかった。
こういう結果で、せっかく復帰したロデオを終えてしまうのは、「悔しい」の一言に尽きる。
そのケガから約2カ月経ち、まだ腓骨は完全にくっついてはいないけれど、もう松葉杖も不要で、アルバイトにも復帰した。けれども、普通に歩けているかと言うと、まだだ。
下り坂や、階段を下りる時は、足首がまだ硬直していることもあって、普通には歩けない。
まずは、この左脚を完全に治して、妻とも相談しつつ、この先の事を考えよう。



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